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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

穴守稲荷神社の御朱印(大田区)〜文字通り「穴」を守り続けてきた神社?

穴守稲荷神社御朱印です(東京都大田区羽田)f:id:wave0131:20190617162254j:plain

▼同じく奥宮御朱印。でも「仮殿奉拝の証」のスタンプ付です。f:id:wave0131:20190617162252j:plain

▼同じく2012年の御朱印f:id:wave0131:20190617162253j:plain

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▼当神社のHPに掲載されていた絵ハガキです。f:id:wave0131:20190617163733j:plain明治〜大正時代の穴守神社の写真を色付けして当時に絵ハガキにしたもののようです。

賑やかな鳥居周辺の様子が、何か妙に艶やかな色気と風情があります。女性の姿が数人写っているからでしょうか?

江戸時代から戦前までは門前町や鳥居前町は遊興の場所でもあったりして、現代よりも繁華だったことでしょう。

 

上の絵ハガキは神社がまだ現在の羽田空港の敷地内にあった頃のものです。

神社は戦後、羽田空港拡張のため地域の住民もろとも、現在の地に強制移住させられたそうです。

▼現在もポツンと大鳥居だけ空港敷地内、羽田空港一丁目に残されています。f:id:wave0131:20190617162321j:plainもっともこの鳥居も、相次ぐ空港拡張のため元々の位置から移設されているそうです。

▼以下4枚は2012年時点の穴守神社の写真です。綺麗に整った境内でした。f:id:wave0131:20190617162255j:plain

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▼本殿右手にあった「奥之宮」は、とっても良い雰囲気を持っていました。f:id:wave0131:20190617162258j:plain

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▼ここからは2019年の写真です。神社の東側にある鳥居。f:id:wave0131:20190617162302j:plain

▼こちらは南側の参道になります。f:id:wave0131:20190617162319j:plain

▼社標がある西側のこの参道が表参道に当たるのでしょうか?f:id:wave0131:20190617162314j:plain

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▼進んで境内に入ると2019年5月時点では大規模な工事が行われていました。f:id:wave0131:20190617162312j:plain

▼竣工は2020年3月だそうです。f:id:wave0131:20190617162313j:plain

▼主な建物の拝殿、本殿、社務所、神楽殿はそのまま引き継がれそうです。f:id:wave0131:20190617162301j:plain

f:id:wave0131:20190617162316j:plainどうやら主な建物を除いた境内の防災上懸念される植栽と、老朽化した奥宮とその参道の整備が主な目的のようです。

▼朱の鳥居も神楽殿の横に並び重ねられていました。f:id:wave0131:20190617162317j:plain冒頭掲載の7年前の写真の奥宮は、しっとりとした、少し薄暗い感じが好きだったのですが、2020年にはきっとパァーと明るい奥宮になってしまうんでしょうねぇ?

防災上が理由ではやむを得ないのですが、個人的には少し残念な気がします。

 

▼ご覧のように、お狐さまも今は大人しく竣工を待ちわびています。f:id:wave0131:20190617162318j:plain

▼狐塚にあったお狐さんたちでしょうか? こちらもひと塊りになって耐えています。f:id:wave0131:20190617162304j:plainそれにしても東京周辺では改修、整備中の神社が多いように感じるのはワタシだけかしら?

神社だけに限らず寺も、境内は砂利石や土からタイル状の石張りになったり、カフェが出来たりと、途方もなく明るく開放的で現代的スタイルを目指す造りに向かっている。

これまでは寺社に併設されているのは、主に幼稚園などの保育・教育施設だけ。それだけでは人は集まらない、憩えない。

そこが変化してきて、女子を中心とした若者たちに、寺社の境内利用が彼らのライフスタイルの一部として、もっと身近なものとなるようにとの試みなのでしょうね。

 

記事冒頭に掲げた絵ハガキが現代版になったような、賑やかで、明るく、色気のある寺社のスタイルとして人々と共存を目指すのでしょうが、これも有名寺社と都心部に限られるんでしょうねぇ?

地方の弱小寺社の戦略が限定御朱印だけでは限界があります。

 

時代の様々な流れと動きに、大きく媚びず「みざる いわざる きかざる」のスタンスを取る寺社もあります。どちらも未来を見据えての方向なのかもしれません。

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▼奥宮はここに集められていました。f:id:wave0131:20190617162307j:plain

▼仮殿にいくつもの神社がところ狭く一堂に祀られています。f:id:wave0131:20190617162309j:plain

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f:id:wave0131:20190617162305j:plain神社の「穴守」という名称の由来と、この「招福砂」の2つの言い伝えは、元は江戸湾の沿岸沿いの神社ならではの面白いものがあります。

また江戸時代には「穴守」という言葉から、遊女たちの信仰も集めたと wiki に載っています。

ぜひ自身で調べてみてください。f:id:wave0131:20190617162308j:plain

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▼「御神砂」はオタマで掬って、小さな紙袋に入れて持ち帰るようになっています。f:id:wave0131:20190617162310j:plain

▼「招福には玄関へ、病気平癒の場合は枕元の下に・・」だそうです。f:id:wave0131:20190617162320j:plain深く考えずにいただいてきた「御神砂」、ワタシの場合は撒くのではなく、やはりおバカな頭、枕の下が適した置き場所でしょうか!


 

香取神社の御朱印(千葉・富里市)〜極小神社と極大スイカ、浅草神社、香取神宮とのカンケー

富里香取神社、6月の御朱印です。(f:id:wave0131:20190614195127j:plain

▼同、通年の神社印。f:id:wave0131:20190614195128j:plain

▼同、兼務社高松入神社」の御朱印f:id:wave0131:20190614195126j:plain

すべて日付なしの書置きです。

 

御朱印目当てで神社を訪問する場合は、当社のFBを確認してからの方が無難でしょう。

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▼前方の鎮守の森が目指す香取神社でした。まさに鎮守の森です。f:id:wave0131:20190614195149j:plain上の写真の右の田は「浅草神社 御神田」という看板がありました。

なぜ千葉県の富里に「浅草神社 御神田」があるのか全く意味不明だったのですが、調べてみると、どうやら深谷にもあり「浅草神社 御神田」は方々にあるようです。

ちなみに浅草神社のHPには、ここの神社のお知らせが度々掲載されていました。

富里の神社周辺では「三社村」という幟も見かけました。

香取神社側のHPに浅草神社の記述は一切ないのですが、浅草神社の御神田があるということで、この2社の繋がりは深いかもしれません。

 

オドロクほど小さな神社でした。オドロいたのはワタシが勝手にイメージした大きさとのギャップです。神社のせいではないのです。f:id:wave0131:20190614195132j:plain全国の香取神社の総本社は、この神社の所在地と同じ千葉県香取市にある「下総国一宮 香取神宮」のはず。f:id:wave0131:20190614195140j:plainしかし、ワタシの好みで素晴らしい出来のこの神社のHPに「浅草神社」同様「香取神宮」の記述、文字は見つかりません。ちょっとフシギに感じます。f:id:wave0131:20190614195142j:plain鳥居の脇にシブイ手水社、そしてすぐ狛犬が左右で笑います。f:id:wave0131:20190614195139j:plain

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▼鳥居からたった20歩から30歩くらいでしょうか? 拝殿に着いてしまいます。f:id:wave0131:20190614195138j:plain

▼拝殿から振り返っても短い参道に変わりはありません。当たり前です。

f:id:wave0131:20190614195137j:plain無人のようです。拝殿の左に回り込んで本殿を覗いて見ます。

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▼当たり前にコンパクトな本殿は、思いもよらず厚化粧。

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▼見事な飾りの彫刻と絵が神社の外観を裏切っていました。

f:id:wave0131:20190614195150j:plain▼拝殿の前は案内の貼紙がいっぱい。どれから読んだらいいのか戸惑います。

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▼来週の日曜、6月23日に「富里スイカロードレース」というマラソン大会に合わせてスイカ柄の限定御朱印がいただけるようです。

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▼記事冒頭に掲載の御朱印は、この白い3段のケースの中にそれぞれ1種類ずつ入っています。

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▼お金は緑の矢印が示す透明なプラスチックケースに。ケースの後ろに防犯装置付き。

f:id:wave0131:20190614195135j:plainケースに500円硬貨と100円硬貨4枚を入れ、神社を立ち去ります。

神社用の朱印帳が手元に無いので購入しても良いかな、と思いましたがこの日は宮司宅に電話しなければ手に入らないようです。

宮司宅が近くか、遠くか分かりませんが、好みとして、そこまでして欲しいデザインではありません。

 

▼いただいた兼務社御朱印「高松入神社」にもごあいさつ。鳥居がなければ分からず通り過ぎてしまう神社です。f:id:wave0131:20190614195147j:plain

 

御朱印帳デザインのモチーフにも使われているように、千葉県富里市はスイカ造りが盛んです。

▼車で走っていると遠方の森の中に大きなスイカが成っています。f:id:wave0131:20190614195146j:plain記事冒頭に掲載した御朱印のスタンプと同じです。

 

▼巨大なスイカは収穫前のようですが、中はガスが詰まっているそうです。

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▼持って帰れそうなスイカを探します。

f:id:wave0131:20190614195148j:plain都心に近い千葉県内の産直で安さは期待できませんが、思ったよりいろんな野菜が新鮮そうで安かったので、珍しい 「はぐら瓜」を始め少々仕入れました。身長175の女子のキレイな脚のように長い大根が140円、即買い。

▼そしてこちら、買うか、買うまいか、ニラメッコ!f:id:wave0131:20190615141144j:imageニラメッコが済むのに15分必要でした。

買いました! 2200円。

大きさと値段が5段階ほどあるうち「MA」という一番小さいサイズです。それでも直径22〜23センチくらいでズッシリ重い。指で弾くと「ポンポン」と熟れてるイイ音。

まだ6月ですので甘さに大きな期待は持ちません。

自宅から45km、ニラメッコ15分、支出2200円の初物は、予想通りソコソコの甘さでしたが、覚悟の上で及第でした。

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http://tomisatokatori.com/news/

錫杖寺の御朱印(埼玉・川口市)〜キューポラのある街、そして消える街の今昔

宝珠山 地蔵院 錫杖寺御朱印です。(真言宗智山派/埼玉県川口市本町2-4-37)f:id:wave0131:20190613164753j:plain/

▼寺の名称の「錫杖(しゃくじょう)」とは、地蔵菩薩などの遊行僧が手にしている金属製の杖のような道具です。(下の写真は新宿・太宗寺の地蔵)

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弘法大師は錫杖で大地をツンツンと突いて、出湯や水を湧出させた言い伝えが各地に残っています。

身を守る道具でもあったという見方もあり、用途はいろいろだったのでしょう。

 

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▼「錫杖寺」のある川口の街です。

▼その川口という名が全国的に有名になったのはこの映画によります。

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半世紀以上前に作られた映画ですが、吉永小百合出世作と言える映画で、川口市の鋳物の街をモデルにした青春映画だそうです。

もちろん白黒映画。見ていませんので話にもなりませんが、当時、吉永小百合がまだ高校生だったそうですから、とんでもなく昔の映画です。

 

▼そしてキューポラです。

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一般人はほとんど口にも、耳にもしない言葉「キューポラ」ですが、簡単に言うと溶解炉のことです。ワタシたちが目にするのは、鋳物工場の屋根から出てる先端部分、煙突部分だけですが。

しかし、鋳物の街だからこそのキューポラも、今やベッドタウンと化した川口から、その姿を消そうとしています。

 

▼それでも川口市に住む人たちは「錫杖寺」は知らなくても、きっと「キューポラ」は知っているでしょう。

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▼その錫杖寺山門の前、道路を隔てた向かいに古い橋の欄干だけが残っています。

f:id:wave0131:20190613164802j:plain凱旋橋」の遺構で、日露戦争の凱旋パレードの際に架けられた橋だそうです。

川口の鋳物は日露戦争を契機に、砲弾や機械部品などの製造で発展し続け、全盛期には映画のモデルとなるほどだったのでしょう。

 

▼そんな川口の歴史は、この寺にとってはつい昨日の事のような話かもしれません。

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寺は奈良時代に創建されたと伝わりますので、そこから滔々と流れた時間を考えますと、川口にキューポラのある時間は、快速電車が駅を通過するようにほんの僅かなものです。

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キューポラ時代からさらに遡って、鋳物の街になる前の江戸時代の川口は、日光街道脇街道日光御成街道」の宿場町だったそうです。

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その宿場もとうに消え、そしてキューポラも消えようとしている川口で、唯一、変化はしても消えないのが寺と神社です。

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長い歴史を見続けてきた寺社は、もちろん川口だけに限らず、どの地域にも言える事でしょう。

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普段はこの寺に御朱印を求める人はそれほど多くはないように予想されますが、寺のHPによりますと、平成の終わり、令和の始まりにはたくさんの人が御朱印を求めに参拝されたそうです。

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そんな御朱印ブームの出来事も、悠久の時を見つめ続けてきた寺にとっては瞬きのようなホンの一瞬の歴史として未来に伝わっていくのかもしれません。

 

岡崎神社の御朱印(京都市) 〜特殊サギ頻発の巷、こちらは幸呼ぶウサギ?

岡崎神社御朱印です。(f:id:wave0131:20190612161351j:plain

平安京遷都の際に、都の東西南北にそれぞれ建立された社の一つで、東に鎮座するから「東天王」と呼ばれたそうです。

素盞鳴尊主祭神だから「牛頭天王」という事かしら?

御朱印は書置きでした。

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▼東京に「東天紅」という中華料理の店が数店舗ある。f:id:wave0131:20190613163521j:plain

とうてんこう」と読む。現在はおとなしいサインになっているが、少し前までは上野広小路に大きくて派手なネオンサインがあったのを覚えている。

御朱印となんら関係ないのですが「東天」と書かれていると、東京の人間のほとんどは「とうてん」と読んでしまう。「東天紅」のおかげです!

 

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▼緑が深く、街中にあっても風情のある岡崎神社です。f:id:wave0131:20190612161353j:plain神社の性格上、やはり参拝者は圧倒的に女性の数が多いように感じられました。f:id:wave0131:20190612161403j:plainある調査によると、京都への観光客数は年間約5500万人以上だそうです。f:id:wave0131:20190612161354j:plain観光客の中で女性比率は6〜7割で、この数字は予想通り。

そして、女性に限らず1人旅の観光客は3割近くだそうです。

やはり1人旅でもグループ旅でも女性の姿がシックリくる京都のようです。

 

▼京都の神社で男性2人の姿というのは何となく風景に溶け込んでいません。失礼!!f:id:wave0131:20190612161355j:plain

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▼かつてのこの地域は野うさぎの生息地だったそうです。f:id:wave0131:20190612161358j:plain神社の東は東山三十六峰が続いているから、野うさぎが多くいた事も納得できる。f:id:wave0131:20190612161359j:plainうさぎは多産で1回の出産で1〜6匹の子を産むそうです。時には10匹出産ということもあるとか。f:id:wave0131:20190612161357j:plainそんな多産なうさぎは神の使いと伝わり、岡崎神社は安産、子授けの御利益を求めて参拝される方が多いそうです。f:id:wave0131:20190612161400j:plainというわけで境内は狛犬の前にある「狛うさぎ」を始め、お守りや置物など、うさぎだらけ!f:id:wave0131:20190612191208j:plain

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▼「子授けうさぎ」は、餌でもおネダリしているような姿ですが、人や天を仰ぎ見るのではなく、月を仰ぎ見ているそうです。月はやはりウサギのふる里なのでしょうか?

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ところで前述の京都観光客の話に戻りますが、修学旅行生などを含め若者が多いと思いきや、なんと意外にも50歳以上の観光客が約7割を占めるとか。

 

巷で連日のように報道される「特殊さぎ」の被害者もこの年齢がほとんどで、それも女性が7割以上。ぐうぜん京都の観光客構成といくらか似ています。

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そんなサギにダマされないためにも、この神社のカワイイウサギたちにもうひとつ活躍願って「失(せろ)さぎ 守り」としてご利益がもう一つ増えると、お年寄りたちの参拝者がさらに増えるかもしれません。面白くもない? フザケ過ぎました!!

f:id:wave0131:20190612161402j:plainさて、もともと外国からの観光客に人気のあった京都は、さらに日本への観光客増加とともに異国の人たちの訪問数が多くなります。f:id:wave0131:20190612161401j:plainそしてワタシたちのように御朱印を求めにやってくる観光客もさらに多くなります。

京都の観光客の姿も日々変化し続けていくのでしょう。

青岸渡寺の御朱印(和歌山・勝浦町)〜大門坂から標高差150m、西国一番札所を目指す

那智山 青岸渡寺・西国三十三観音霊場一番の御朱印です。

天台宗和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山f:id:wave0131:20190611165746j:plain

不思議な名称「青岸渡寺」の文字はどこにもありません。

左下朱印も「那智山納経印」。

 

青岸渡寺御朱印帳。f:id:wave0131:20190611165747j:plain

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▼東京から随分遠い距離にある地域に来ました。

 

大門坂」入口手前の駐車場に車を駐めてここからスタート。
青岸渡寺」を目指します。

▼ここの標高は約150mほどだそうです。

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▼最初はなだらかな舗装路が、やがて石段に変わります。

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大門坂は古来の面影を色濃く残している誰でも登れる初心者向けの参詣道。600mほどの石段の高低差は100m。いにしえの参詣者に想いを馳せ登ります。

▼石段もなだらかでタカをくくっていると、こんなところもあります。

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▼最近ではこんなコスチュームで坂を行くのが人気だそうですが・・。

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ゆっくり登っても1時間もかからない。石段が終わり駐車場のある広場に出ます。

▼やっと登り切ったと思いきや、さらに石段が待ち構えています。石段は473段あるそうです。高低差50mくらいありそう。

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▼老若男女、みんな元気です。ヒィヒィしながらもジャンジャン登ってきます。

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▼ハイ、お疲れ様! 境内です。

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と言っても階段を登り切った上の境内は、青岸渡寺ではなく那智大社の境内です。

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那智大社は過去記事にしているので省略。

▼ここから大社の境内を出ます。

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青岸渡寺の境内は隣り合っています。神仏習合の熊野信仰霊場ですから元は一緒。

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さすが一番札所。白衣姿の方達が大勢見かけられます。

グループで西国巡礼できる方を見ていると羨ましくもあります。

本尊如意輪観世音菩薩は秘仏だそうです。境内は線香の香りが充満しています。

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坂東三十三、江戸三十三、鎌倉三十三、武蔵野三十三、秩父三十四、すべて巡ってきました。

しかし関東在住者にとって西国三十三は遠い。車で巡るとしても33番華厳寺にたどり着くまで数日は必要。

東国三十三のように東京から何回かのピストン行動という訳にはいきません。

出来ないことではないが、時間的にも経済的にもかなり効率が悪い。

当初から西国だけを巡る覚悟で出かけないと満願できそうもありません。

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東国三十三の巡礼道総距離は約1000km、西国は1200kmだそうです。

やはり様々に余裕を持っていないと挑めるものではありません。

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まぁ世界遺産でもある一番札所に来られただけでも恵まれていると考えましょうか?

あとの札所は折を見て機会があれば訪れてみる、そんな程度に考えているから東国、秩父を含めた「百観音」達成は実現困難でしょうね。

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▼境内からは写真などで見慣れた光景が広がります。

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三重塔の脇を通って滝方面へ降ります。

▼「蟻の熊野参り」という言葉を思い出されます。

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▼鳥居の先が滝。滝そのものがご神体であることが分かりやすい飛瀧神社です。

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落差130m。高さも水量も日本一のこの滝だけを目指してくる人もいるのでしょう。

中世の時代から人の心を掻き立たせた那智山は、現代も変わらぬその魅力を未来へと引き継がれていくものなのでしょう。

 

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