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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

瑠璃寺の御朱印(長野・高森町) 〜 薬師猫神にご対面 〜 伊那街道を北上❺

大嶋山 瑠璃寺御朱印

るりじ天台宗(長野県下伊那郡高森町大島山812)

 

瑠璃寺御朱印です。

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瑠璃」ときたら本尊はほとんどが「薬師如来」。300円。

「中部薬師四十九霊場 第十六番」札所の御朱印となりました。

 

▼車で東京からですと、もう殆どどこにいるのか分からない伊那郡です。

 

▼伊那街道からそれて、中央高速の高架をくぐり、中央アルプス方面へ少し登ります。

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▼途中の仁王像を通り過ぎて一直線で、瑠璃寺総門前に出ました。

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駐車場で車から降りるとお参りは最初に瑠璃の里会館へ」の案内看板があります。

逆らわず大人しく、おっしゃるとおりに、そちらに行ってみます。

 

▼「瑠璃の里会館」は寺域の一画にある。入口では猫が寝そべっていました。

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▼お地蔵さんかな? 右のこのドアから中に入りました。

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「瑠璃の里会館」内は、何のことはない休憩所がある土産物店のような雰囲気。

小スペースのホールはギャラリーにもなるし、飲食もできそうです。

わたしの語彙は「売店」を選ばせた。

 

さして広くもない館内には従事者らしき女性が2人と少年が1人。3人とも身内のような様子。

少年は夏休みの宿題か、大きなテーブルにしがみついてノートと本のようなものを拡げて女性たちと何やら話しています。

寺社巡りで、こういうシーンは何故かシラけさせられるのは、私だけかしら?

 

さらに会館内には

▼招き猫の「びんずる尊猫(そんにゃ)」。

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▼そして「薬師猫神」が・・。

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一応、手を合わせまする。

しかし、そんな自分が可笑しくなってきました。

まともに何かを祈る気持ちにはなれなかったのです。

 

確かに猫を神として祀る地はあり、特に日本の養蚕が盛んだった山奥では、害となるネズミ退治の貢献で神格化されることが多いそうです。

 

瑠璃寺のHPにも解説されています。

かつて養蚕が盛んであったこの地方では、お蚕様をねずみから守ってくれる猫を「猫神様」として、大切にしていました。

 

多くの寺社は動物と仲が良いから、そんな話は 3000m級の山ほどあります。

十二支の動物はすべて寺社の伝説や境内に現れます。

天井・水屋に竜、撫で牛、神馬に神鹿、白蛇、猿に兎、狛犬とあらゆる動物が対象となりキリがない。東京ではライオンだって神社にいるのです。

みんな神になったり、守り神になったりしています。

 

蛸薬師などは古くからの伝承信仰として名が知られています。

猫薬師というものもあります。

 

しかし、猫がいるここは? 「薬師猫神」です。

 

今は「何でもありが寺社の姿」と理解しているつもりなのに、ヘソマガリなワタシは何が気に入らなかったのでしょう?

猫が嫌いでもありません。

だいたい嫌いな人間はいても、嫌いな動物はいません。

嫌いになる理由がないのです。

 

この寺の普段は開帳されない本尊薬師如来の化身として、新しく「猫神様」としたそうですが、世は猫ブームでもあり、明らかに「カワイイ」を狙っている?

そして人の出入りの多い売店のようなこの会館に祀った。猫好きスポット的に・・・。

と思いましたが、下衆の勘繰りでした。

「平成19年にお迎えした猫神様」だそうだから、猫ブーム以前の事です。

 

▼この写真はお借りしたもの。

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大嶋山瑠璃寺 住所:下伊那郡高森町大島山|ふるさと再発見|行こう!みなみ信州|JAみなみ信州

 

いずれにしても、寺社は地域コミュニティの一隅を形成しなければいけないし、外からの訪問者、参拝者も多く受け入れなければならない。

宗教色は薄めても、新しいものもどんどん取り入れていかなければならないのです。

 

「猫神様」は、そんな背景から新たに祀られたものかもしれません。

 

多くの寺や神社を訪ねてきて、様々な事情を多少は理解できてるつもりでも、この時は虫のイドコロが悪かったのか「猫神様」を前にして、フ〜〜〜ン!とテンション暴落。

 

ここでは借りて来た猫のようにおとなしくなってしまって、会館にいた人たちにジョーダンも言えなく、一つの話もできませんでした。

何故かそんな気持ちになれなかった。そんな時と場所もあります。

 

結局、この寺では会館以外に人の気配はありませんでした。

朱印もこの会館内のおネェさんが記帳担当のようです。

しかし、気分はいくらかシラけたままなので、余計な口は叩かず、いただける朱印の種類も聞かず、また聞かれもせずに、渡された一体だけをいただいてきました。

 

▼気を取り直して境内を回ってみます。

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開創900年だそうだ。薬師本堂や観音堂とは別に、ここだけ山門と塀で囲われています。

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▼真夏の間中、花開かせているサルスベリはエライ! といつも感心します。

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▼猫ブームと同じく、七福神だって毘沙門天や大黒から始まり、三神になり、民間のブームにより今の七福神に落ち着いたのかもしれない。

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▼鐘楼の前は聖徳太子天台宗寺院には太子像がよく見かけられます。

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▼小さな庭もあります。

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阿弥陀堂

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▼再び山門を出ます。寺の敷地内といえる場所に日吉神社

f:id:wave0131:20181010200542j:plainこの寺も戦国時代に兵火により失われたものが多かったようです。

f:id:wave0131:20181010200541j:plain一時はこの神社も含め、もっと多くの堂宇や坊で賑やかな寺を形成していたのでしょう。

薬師本堂

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こんなお堂を前にすると、暴落テンションも持ち直してきます。

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観音堂

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▼境内から帰る方向を見ます。

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▼帰り道、地蔵さんたちが左右で見送ってくれます。

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「猫神」について、ウダウダ感じてた事を笑われました。

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御朱印収集者で猫好きな方、ぜひ訪問してみてください。

元善光寺の御朱印(長野・飯田市) 〜 善光寺の本家・本元・元祖です 〜 伊那街道を北上❹

▼定額山 元善光寺御朱印です。(天台宗/長野県飯田市座光寺2638)f:id:wave0131:20181004171345j:plain

山号は長野善光寺と同じ「定額山」。

 

元善光寺 御詠歌です。

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「御詠歌も・・」とお願いしたのですが、由緒やネットでよく見かける

月半ば毎に来まさん弥陀如来、誓いぞ残る麻績の古里」とは違います。

うづもれし なにわの池の(?) 弥陀如来 せなにおいます 本多善光

意味はわからないでもないですが、御詠歌というのはいくつもあるのかしら?

それともこれは御詠歌ではないの?

 

▼同じく御朱印帳。f:id:wave0131:20181004172434j:plain

300円+300円+1500円でした。

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▼同じ長野の「善光寺」でも飯田市にある「元善光寺」です。

 

善光寺」という名称の寺は全国に広がっています。東京にもいくつかの寺があります。

善光寺」という名称を持たなくても「全国善光寺」の会員となっている寺もあります。

 

▼この寺は当然「全国善光寺」の会員となっています。

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もちろん誰もが知っているのは、ここではなく長野市善光寺

f:id:wave0131:20181004171346j:plainそして、ここは長野市善光寺の「元祖」なのです。

創建の話は推古天皇の時代まで遡ってしまうそうだから、遠い昔とだけ覚えておこう。

f:id:wave0131:20181004171347j:plain由緒によれば推古天皇の時代、この飯田の地(信州麻績の里)に本多善光という人物が都に上った時、難波で阿弥陀如来に巡り合った。

その如来をこの地に持ち帰り祀ったのが起源だそうです。

f:id:wave0131:20181004171348j:plainその後、如来のお告げにより、本尊は長野市芋井の里)に遷すことになります。

その時、本多善光は山中で授かった霊木から本尊と同じ大きさの新たな尊像を彫り、現在の元善光寺の本尊としたそうです。

f:id:wave0131:20181004171349j:plain如来長野市に遷る時「毎月半ば15日間は必ずこの麻績の古里に帰り来て衆生を化益せん」と誓われたとか。

本ブログの訪問日は、古里に帰ってきていらっしゃるのか、長野市にいらっしゃるのか不明。

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ということで「善光寺」は本多善光公の名を以って付けられ、長野市善光寺の絶対秘仏本尊は、当初はここ「麻績の里」で祀られていたのでした。

ほんと、知らなかった!

 

長野市善光寺同様、この元善光寺も7年毎の開帳となり、秘仏のお前立にご挨拶できるそうです。

 

▼「平和の鐘」重さ1.3 t。鐘としては重いのか、軽いのか?

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▼堂内の写真が見当たらないから撮影禁止だったかも? 忘れました。

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古来「長野市善光寺と、こちら飯田の元善光寺と両方お詣りしなければ片詣り」と言われているそうです。

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片詣り」と言うと、長野市善光寺別所温泉北向観音もセットされており、どちらの参拝を欠かしても「片詣り」と言われています。

長野市善光寺だけしかお参りできない人は、別所にも飯田にも「片詣り」となり、

W片参り」で、そうとう肩身がせまく顔向けができない、と言うことになります。

 

御朱印収集の皆さん、長野の善光寺別所温泉北向観音、飯田の元善光寺の3ヶ所へぜひお参りください。遠〜〜〜〜〜いわよ!

f:id:wave0131:20181004171354j:plainでもどれか1つの寺でも、お参りできる人には祝福があるんでしょうね!?

ちなみに諏訪湖の近くに「諏訪善光寺」というのもある。そちらは本尊が飯田から長野市に遷るときの「お休み処」だったそうです。

 

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▼基本はタテに右から左に読む?

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長野市善光寺同様、ここにも本尊の真下に「戒壇巡り」が・・。

「無料」ならば入ってみるしかないです。

f:id:wave0131:20181004171352j:plainライトは禁止だからカメラフラッシュもダメ。でも「撮影禁止」とは書かれていません。

▼シャッターを押してみました。僅かに手すりのような物のほかは何も映らない。当たり前。ヘッピリ腰でソソと進んでみましたが「お錠前」に触れらたかどうかも定かでありません。

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私たちは、日頃、余計なものに眼を奪われて、ものの本質を見誤ったり、争ったり、嫉妬したり、むさぼったりして、結果は悩みに陥るのです」と言うことで、暗闇では錠前を探し当てることだけに専心でき「仏様の世界に入って行くこと」だそうです。

 

今回の旅の初日に訪問した手長神社で、鈴を振りながらの宮司の言葉を思い出しました。

「私たちはいつの間にか目に見えるものだけに心奪われ、目に見えないものの存在を忘れたかのような多忙な生活を送るようになってしまった。時には目を閉じ、鈴の音を耳にしながら、見えないものの存在に心を傾けてみましょう」

 

現代の膨大な視覚的情報は、ある側面からみれば不幸でもあるわけです。

電気もなく、スマホも通じない山間の宿で数日過ごしてみれば、今まで見えなかった事象が見えてくるかも?

多分1日でコーサンするでしょう!

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▼帰り際、団体の若者たちとすれ違う。チャイニーズらしき話し声だけど台湾かもしれません?

f:id:wave0131:20181004171400j:plain十数人のグループ。

それにしても長野の交通の便のよくない地にあり、日本人だって多くは知らない「元善光寺」にやってくる? 感心して、呆れて、驚くばかり。

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伊豆の修善寺が日本人より諸外国の観光客の数の方が多かったことを思い出しました。

今や日本の隅々まで海外からの観光客が押し寄せてくるのです。

そして外国人はおしなべて日本の寺社が「お好き」のようです。

我が国民の目に映る寺社と、彼らの目に映るそれは、いくらか、あるいは全く異なっているかもしれない?

 

もしかして、彼らは長野の善光寺もお参り済みかもしれない?

 

 

▼東京の善光寺などの関連記事。

 

鳩ヶ嶺八幡宮の御朱印(長野・飯田市) 〜 伊那谷の名社は小さな滝の音だけの静寂 〜 伊那街道を北上❸

鳩ヶ嶺八幡宮御朱印です。(長野県飯田市八幡町1999)f:id:wave0131:20181003141625j:plain

300円、書置きでした。

「八幡」ときたら大概、鳩が向き合って八の字を表しています。
さらにこの神社は名称に鳩がついているので、朱印は当たり前に2羽の鳩がデザインされていました。

書置きとは言え、都内でよく目にするプリントの書置きとは違い、墨書きは4行に渡り丁寧に揮毫されていることに感謝したくなります。

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▼鳩ヶ嶺八幡宮を駅名にしている飯田線伊奈八幡駅」から約500mです。

天竜峡」「長岳寺」から再び飯田市内に戻ってきました。

▼この神社に寄ってみます。

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▼石の鳥居は300年以上前に竣工されたもの。

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京都の石清水八幡宮から勧請したと伝えられる神社です。

境内バックの森閑とした森は公園にもなっている境内地。

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▼「隋神門」修復されているようですが、同じく約300年ほど前に建てられています。

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広い境内に人影はありません。誰とも会いませんでした。独り占めと言えば、言える!

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▼階段が続きますが、初心者向けレベルです。このくらいはスルッーと抜けられる階段です。f:id:wave0131:20181003140540j:plain

▼拝殿。清々しさ100%。

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▼ちょっと、素っ気ない扁額。拝殿はそれほど古いものではなさそう。

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▼本殿右手にある「豊川稲荷」は稲荷社にありがちな、いくらか妖しげな雰囲気。

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▼本殿への階段途中にあった「弓道」と呼ぶそうです。

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▼「金的」「金的中」とありますが、馬券、宝くじではありません。

f:id:wave0131:20181003140537j:plain弓道に知識を持っている人はご存知でしょうが、小さな金の的を射る事を「金的」と呼ぶそうです。

三河から奥三河にかけての地域は弓道が盛んとか。

そして奥三河の山々を越して伊那谷のこの地にも弓道の「熱」が伝わったのでしょう。おそらく?!

 

▼御神木

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▼「天神」に「大黒」。

思いがけずとっても雰囲気のある境内でした。

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▼「白山稲荷境内社は他にも数社あります。

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ここも一段一段、踏み出さずにはいられない雰囲気を醸しています。

 

▼「一ノ滝」人の気配のない境内に水音だけ、いやが上にも神秘性が増します。

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▼「祓戸の滝f:id:wave0131:20181003140536j:plain

▼「三ノ滝f:id:wave0131:20181003140531j:plain

今回3日間の旅で神社としては最後となりました。

まったく知識なく伺ったこの神社は、とっても落ち着け、境内を歩いていて気持ちの良い空気に包まれました。

 

3日間でたくさんの神社を訪問してきましたが、山岳信仰御嶽神社は別にして、

境内が印象に残ったのは「諏訪大社上社前宮」「手長神社」そしてここ「鳩ヶ峰八幡宮」でした。

信州伊那谷の南端にこんな素敵な神社があるとは、という思いでした。まさに「名社迷宮」でした。

 

護持崇敬を引き継いできた、この地の地頭であった小笠原氏は「文教の家元」として学問教育、弓道などの宗家であったそうです。

その後、伊那の領主は変遷していきますが、400年以上、伊那の村民とともに守られてきたからこその神社でしょうね。

 

飯田市の近くを訪れる機会があったら、ぜひの訪問をおすすめします。

長岳寺の御朱印(長野・阿智村) 〜 武田信玄終焉の寺、春夏秋冬襖画是非国宝 〜 伊那街道を北上❷

▼広拯山 長岳寺天台宗・長野県下伊那郡阿智村駒場)の御朱印です。f:id:wave0131:20181001145816j:plain

▼同じく瑠璃殿御朱印f:id:wave0131:20181001145815j:plain

宝物の拝観料200円込みで800円。

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▼ここは「阿智村」というそうだけど、日本国民にほとんど知られていない地味な村。

 

▼しかし温泉好きには知られている「昼神温泉」があります(以下2点はNETから拝借)。f:id:wave0131:20181001161739j:plain

▼さらに環境省に認定された「日本一星が輝いて見える場所」だそうです。

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言い換えれば、夜はそれだけ周辺の光が少ない田舎なのだけど、

夏の期間は「星空ナイトツアー」なるものも催されているから、最近はマスコミに取り上げられることも多い。

 

地理的にも全く不利な条件にあるなか、星空をセットにした特別な温泉地として、最近は村人口の10倍以上の人たちが訪れるということは「地方創生」の成功例なのかしら。

 

 「日本一の星空の村」として村のブランド力と知名度はウナギのぼり。

しかし、人口6000人くらいの村だから他には何もないのです。

正しくは、ワタシは他に何も知らないのです。

 

▼しかし歴史好きと御朱印収集人は、この村にこの寺があることを知っています。

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ここは武田信玄所縁の寺でもあります。

阿智村、掘り返せば売るものは多く、なんでもあるじゃないですか!

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▼階段を上がり境内に入ると本堂がすぐ目に入ります。

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▼鐘楼と「望郷の鐘」1撞き100円。ゴ〜〜ン、ゴ〜〜ン、ゴ〜〜ンで、300円。

20回くらい撞くと寺の方も数がわからなくなる?

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▼境内は広くないけど様々な石碑、句碑などが案内板とともに所狭しと並んでいます。

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芭蕉はこの寺を訪れてはいないが、心象風景として句を残しているそうです。

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▼中国残留孤児を肉親たちとの再会に尽力された、この寺の前の住職らしい。

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新田次郎歴史小説武田信玄」を執筆するにあたりこの寺を訪れたそうです。

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▼そして信玄の「灰塚供養塔」。

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信玄は信長打倒を目指して甲斐を出る。

家康を破り、現在の愛知県 長篠城まで進軍し、その地で病に倒れた。

上洛半ばで甲斐に撤退することになります。

その引き返す途上、この地で臨終、53歳、寺の裏山で荼毘にふされます。

その「灰」をもって供養する十三重の塔。

供養塔によくある「十三重」は何を意味するのか、わたしに知識はないわっ、今のところ。

ミクロな知識でも歴史を書き出すとキリがないかもしれないからヤメましょう!

 

▼左下は日本全国よく見かける石ですが、ここの名称は「男のまたぎ石」。

名称は「男」でも子宝を願って「女がまたぐ石」だそうです。

f:id:wave0131:20181001145824j:plainそれにしても、こんなに見事にテカっていると目が潰れそうね!

ワタシは、またの機会にして「またぎ」はご遠慮いたしましたわっ!

 

さて、本堂横の授与所で朱印をお願いすると

本堂内と寺宝を案内いたしますよ

察するに住職の娘さんか、息子のお嫁さんらしき元気なおネェさんからすすめられました。
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すすめられると拒まない、断れないわたしは受け入れますが、200円でわたし一人だけのために案内じゃ心苦しいわねぇ・・・。

と思ったけど、ガイドが始まるとすぐに男女4人の若者がやってきました。カップル2組のようです。

 

あとで車を見たら「練馬ナンバー」モノズキによくもココまでやってきた、と人のことは言えない「足立ナンバー」。

ということで、

おネェさんはガイドを一からやり直しです。5人一緒に案内されることになりました。

 

▼本堂内に「径寸十枚これ国宝に非ず

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▼「一隅を照らす、これ則ち国宝なり天台宗伝教大師 最澄の教え。

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お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精いっぱい努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝である」という意味の言葉とか。

んん〜〜〜ん、光り輝きたいけど・・・宝には絶対なれないわね。

 

阿智村在住の日本画家・吉川優による連作の襖絵。本堂の左側に「秋の間」。

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▼右側に「夏の間」どちらもアルプスを描いたものかしら?

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▼秋の裏に「春の間」。

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▼夏の裏に「冬の間」となっていました。

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よく見る構図だけど、郷愁をそそられるこの絵が一番気に入りました。

 

▼「火炎の間」。

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▼「朝陽の図」。

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▼その裏手には「月の間」なかなか見ごたえありです。

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この後、

▼信玄の兜の前立てなどの寺宝の案内が続き、約20分くらいだったでしょうか。

f:id:wave0131:20181002113107j:plainガイドしていただいた女性は、寺の修復や他の計画など、したいことは沢山あるけど「なにしろビンボー寺なので・・」と、ままならぬ事を吐露トロ。

 

ビンボー寺」というグチのような言葉が3回は出てきたように記憶。

おなじボンビー仲間だ。急に親しみを覚えるわね! お賽銭をもう100円追加!

 

「流暢な案内ありがとうございました」

いえいえ、まだまだ住職にはかなわないんですよ・・」と

笑顔で見送っていただきました。

長岳寺さん、阿智村の「宝」となるよう、ガンばってください。

 

 

朱印掲載ナシ 〜 天竜峡に響かせる失われた「しあわせの鐘」 〜 伊那街道を北上❶

飯田市の前夜宿泊先。f:id:wave0131:20180928120841j:plain

▼前日より狭い。寝るだけだから、4,860円の部屋に文句は言えない。f:id:wave0131:20181009125700j:plain

怪しげな宿のごとく見えるイラスト風写真になってしまった。部屋は清潔、キレイ!

そう、前日同様こんなところに泊まっている!

 

▼部屋のカーテンを開けてきたから、5Fの自分の部屋だけ煌々と明かりがついている。f:id:wave0131:20180928120840j:plain他の部屋は見られたくないからカーテン? もう寝てるの?

隠すものが少ないワタシも悲しいかもしれないけど、隠さなければならないものが多い人もツラいわねぇ。

 

▼飯田の街も夜は早い。夜9時、ホテル前の交差点は人見当たらず。f:id:wave0131:20180928120843j:plainご多分に漏れず、ここ飯田市も典型的な日本の地方都市の行く末を表しているかのようだ。人口は徐々に減り続け、大台の10万を切る寸前のガケップチ。

多くの転出者は首都圏を目指しているそうだ。

そんな街に夜の散歩に適した場所は見つからない。

▼男たちを誘うこんなお店は数店舗あるけど、あたしには用無し!f:id:wave0131:20180928173450j:plain

そんな街中を歩いて、カフェのようなイタリアンでワインとパスタの晩ごはんを食べる。場違い感タップリな店を出てホテルに帰る。

なんのことはない、宿泊先のホテルの1Fレストランが大勢の人々で一番賑わってましたわっ。

だから、もう寝るっきゃない! ということで普段より相当早く寝る。

いつまで付き纏うのか、忘れたいのに土足で入り込んでくる奴に眠りを乱される夢をイッパイ見る。

 「忘れたい」を「忘れたくない」に置き換えると、夢は納得できる。

 

だから、翌朝も早く起きる! 乱れを整え、夢は全て忘れる。

 

▼朝メシにもありつけず、飯田の街から5、6km南下して「天竜峡」に行ってみる。f:id:wave0131:20180928120844j:plain朝8時30分の「名勝」は、まだ誰もいない。出会ったのは掃除のおばさんたちだけ。

 

そもそも「天竜川」と言われてもと、ライン下りとか、浜松あたりの太平洋に注ぎ込む川くらいしか知識がない。

調べてみると「諏訪湖」の唯一の出口を源流として、伊那谷を南下する。

そしてここは伊那谷の出口にあたり、川幅は急に狭隘になる。かつては洪水に悩まされた地でもあるそうだ。f:id:wave0131:20180928120830j:plain▼遊歩道を進むと木の間に渓谷というか、水面が見えてくる。f:id:wave0131:20180928120838j:plain天竜川の谷は深いぞぉ〜。f:id:wave0131:20181001163257j:plain

f:id:wave0131:20180928120831j:plain

f:id:wave0131:20181001161843j:plain▼吊り橋らしきものが見えてくる。f:id:wave0131:20180928120846j:plain▼吊り橋まで降りる。f:id:wave0131:20180928120832j:plainここは紅葉時期にやってくるべき観光地だ。

そして、俗っぽく渓谷を遊覧船で見て回ることが正解のようだ。

▼ちなみに紅葉時期はこんな感じになるそうだ。(「南信州ナビ」さんから拝借)f:id:wave0131:20181001162650j:plain

最近ではラフティングも人気みたい。

 

▼「つつじ橋」というからには、秋はさぞかし紅葉で赤く染まることだろう。f:id:wave0131:20180928120833j:plain

f:id:wave0131:20180928120835j:plainもちろん誰もいないから、思いっきし揺すって、思いっきり飛び跳ねてみる。

ビビって大きな跳躍はできないのに大きく揺れて、さらにビビった。

 

▼あちらこちらの観光地にあって、カップルで鳴らせば、その場だけ一瞬の幸せだけは得られる「幸せの鐘」。f:id:wave0131:20180928120834j:plain何処へ行っても吉野家とKFCがあるのと同じなのだ。f:id:wave0131:20180928183313j:plain幸せの尺度は人それぞれ、大きなお世話!

▼だけど誰もいないから、これも思いっきり鳴らしてみる。f:id:wave0131:20180928120850j:plainゴ〜〜〜〜〜ン? 除夜の鐘じゃないから、カ〜〜〜〜〜ン!とカン高い音色が響く。

戻ってこない響きは「しあわせ」がどこか遠くに飛んで行ってしまったのか?f:id:wave0131:20180928120849j:plain狭い吊り橋を鐘の音だけが駆け抜けている時、ちょっと勘違いしたことに気づく。

「しあわせ」になれる鐘ではなく、「しあわせ」を願う鐘だった。

どちらでもイイけど・・・。f:id:wave0131:20180928120848j:plain朝ごはんの付いていないホテル宿泊だったから、おにぎりとお茶をコンビニで買って持ってきた。

誰もいないから、吊り橋の上で一人おにぎりを頬ばる朝の8時時50分。

その姿を想像してみてください。なかなか寂しく、悲しい光景でしょう?f:id:wave0131:20180928154640j:plain進化し続けるコンビニの「混ぜご飯」的な美味しいおにぎりを噛みしめていると何だか可笑しくなってくる。

誰もいないから、夏の朝の日差しを浴びながら「ハッハッハッハッーー」と笑った。f:id:wave0131:20180928120836j:plain自虐的かしら? 人を貶めるよりラクなので・・・。

男と一緒でない、女と一緒でない、一人旅はいつも、面白くて、寂しくて、楽しくて、悲しくて、嬉しくて・・・、どれでも選べて自由なの、ねっ!  そう、何を混ぜても自由!

心は混ぜご飯おにぎり的に、自由でコンビニなのだ!f:id:wave0131:20180928120837j:plain

さて今日も寺を目指します! この景色の先のどこかに目的の寺はあるはず・・・。f:id:wave0131:20180928120839j:plain

んんっ?!  déjà vu.

むかし誰かと一緒に眺めたような景色。記憶の奥の引き出しが少し開く。

 

いつも手遅れに迷宮を彷徨うばかり。

誘われて行った先の山や海は、どこも光り溢れクラクラした記憶は、もうすっかり色褪せ、鮮明さも失われ一部を残すのみだわねぇ。

いったい何処へ行ってしまったのか眩しい光に満ち溢れていたあの夏の朝は?f:id:wave0131:20181001174041j:plain

夢のような「しあわせの鐘」が響いていた頃の僅かな記憶を引き出しの奥に戻し、長野の旅3日目は伊那街道(三州街道)を諏訪方面へ北上して東京へ戻る予定。

 

伊那谷は信州の片田舎。

しかし、木曽路は山の中で俗っぽい店は少なかったが、ここから先は谷です。
この先の谷には蕎麦もあるけどファミレスも、モスも、マックもある。

昼ごはんに蕎麦を連続して食べているとマックが恋しくなる。

 

マックをパクついて「しあわせ」って何だろう? と疑問を持つ!

 

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