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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

高島城跡内、諏訪護国神社の御朱印 (長野・諏訪市)〜 諏訪から松本、そして南信へ❺

諏訪護国神社御朱印です。(野県諏訪市高島1-20-1)

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 ▼諏訪護国神社高島城跡敷地内に鎮座します。


▼観光的に賑やかな湖畔の東側から見る諏訪湖は、藻なのか、水草なのかよくわからないが、広大な面積の湖の一部を枯れた色が覆っています。f:id:wave0131:20180824213702j:plain

▼枯れて腐っている訳じゃないでしょうが、茶系の色は視覚的にかなりジャマでスワ。

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以前訪れた時は、こんな邪魔者はいなかったような・・? 記憶。

近頃、湖が全面凍結しなくなってしまった冬が多い事とも関連があるのかしら?

長野も異常に暑いこの夏に、諏訪湖が凍結する事を連想するのは困難!

 

▼その諏訪湖の水が当時は城際まで迫っていた高島城は「諏訪の浮城」と呼ばれた名城だったそうです。

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▼せっかくの名城も明治に入りすべて撤去されているが、諏訪住民の熱意により1970年に「高島公園」内に、その美しい姿が復元されています。

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前々回の記事、チコちゃんが知っていた「吉良義周」は、この城の北の端に位置する「南之丸」に幽閉されていたそうです。

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戦国時代、弱小な力しか持ちあわせなかった主を持った諏訪領地は、当時の常識のように、武田や織田の強者によって翻弄されています。

この地の領主であった諏訪氏も武田軍団に滅ぼされました。

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しかし、その武田もやがて織田に滅ぼされ、信長も滅んだその後、家康の関東転封後に秀吉の家臣が7年の歳月を費やして築城したのがこの「高島城」だそうです。

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関ヶ原で東側についた諏訪氏は家康の恩恵により再び旧領諏訪の藩主になり、以降は明治までこの城を居城として10代続いたとか。

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長野の城と言うと、どうしても国宝の松本城が話題に取り上げられますが、歴史的にも、そして復元とはいえ、その美しさも決して松本城に劣らない威容を誇っています。

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天守閣は300円で入城できるが・・・・パス!

朱印収集とともに寺社を訪れる時、歴史は避けて通れません。

しかし特に城が好きなわけでない、嫌いではないものの城を歴史とともに理解するには、わたしの IQ は相当足らない。だから避ける。外から見るだけで良い。

 

復元された城内部のほとんどは資料館や博物館となっています。

じっくり理解するように見て回るには時間が必要となります。

しかし、じっくり時間かけて見て回り、読んで回る事ができたとしても、情けないことに、そこの出口を出る頃には全て忘れています。

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巣の入ってしまった豆腐のようなアタマ!

 

だから、ムチャクチャ時間のある時や興味のある物以外、資料館の類は入館しないことにしているのです。

 

手長神社の宮司さんの言葉ではないが、最も刺激される目から入る映像や、絵や、彫像や、仏像や、建築物! も、ほとんどがその場限りの目の感動だけで終わってしまう。

 

どうしたら見たこと、聞いたこと、会った人たちを忘れずに自分の引き出しに整理整頓できるのでしょう? この問題の原因は IQ の低さと老化現象かな?

 

これはまぁ、私だけではないな!

どこへ行っても多くの人は忘れないように、後で思い出すようにパシャパシャ写真を撮っているじゃないですか。

 

いつものように修復不能な脱線!

 

▼高島城とは何の関係もなく、城址内の南端に鎮座する1900年創建の諏訪護国神社の様子です。

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そして他の弱小寺社と同様、3、4年前までは授与したことはなく、朱印なぞ無縁の神社だったかもしれない? ことが想像されます。

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▼この神社にも少し細い「御柱」があります。

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護国神社と大社の関係は、私の頭では思いつかず「御柱」が何故ここにあるのか不明なのに聞きそびれました。

(後で知った! 御柱諏訪大社に限られたものではなかった。)

 

いろいろな意見がある護国神社だけど、狭量な考えを超越してこの神社に寛容な参拝者が多く訪れることを望むばかりでした。

 

朱印をいただくに、優しい言葉を掛けてくれた魅力的なおネェさんがいらした神社。

きっと10年後、20年後には、さらに魅力を積み重ねられた神社になっていることでしょう! ねっ。

 

手長神社・足長神社・八劔神社、3つの御朱印(長野・諏訪市) 〜 気長に諏訪から松本、そして南信へ❹

オリンピックが近づいています。

最近のアスリート達は皆な手足が長い。ウエイトリフターは別かな?

かつての東洋の魔女たちの手脚も、当時としては長かったようですが、今ほど長くなかったみたい。

2世代も前のことのようで、一体いつのことでしょう?

 

だからと言うわけじゃないけど、コジツケです。

手長神社・足長神社・八劔神社の朱印です。

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御朱印BLOGのどこでも見かける新鮮味のない朱印画像に一言の説明もいらないかも!

諏訪を訪れた収集者の定番コースの朱印でしょううね。

手長神社の宮司さんは、これまで一体いくつの朱印と墨書きを手がけてきた事でしょう? 気が遠くなるような数に違いない。

 

大社と合わせて諏訪での朱印「セット」です。

3つの朱印は手長神社でしかいただけない。

手長神社が兼務していて足長・八剣神社は普段は無住。

別の言い方をすれば、手長神社を訪問すれば3つの朱印がいただける、ということです。

 

だから足長神社・八剣神社を参拝しなくとも朱印だけは、いただけます。

そこのあなた、そんな事してないわよね?

だとしたら、何なのよ!

いや、好きにしてくださ

すいません、疑り深い人間なので・・・!

 

ところで手長神社の宮司さんは様々なことにご熱心で、深い見識をお持ちの様子。

てながの杜 第11号」という神社通信のような印刷物を手渡され「私が書いたんですけど、よろしかったら読んでみてください」と。

七夕に神社の境内で行われた氏子たちによるバンド演奏の様子の記事や、「てなが・あしなが」にまつわる記事など、少し難しいが興味深い内容になっていました。

 

さらに

ちょっと目をつむってみてください」と声をかけられる。

素直に目を閉じた。

神社のお祓いの時に振られる剣鈴の音色をシンプルにしたようような涼やかな音が耳に漂ってきました。

f:id:wave0131:20180823195235j:plain写真の鈴を振って、その音色を聞かせてくれていたのです。

 「穀(かぢ)の土鈴」と言うらしい。神紋の他に学校の校章にも使われているそうです。

 

添えられたチョー達筆な説明書にも書かれている通り、

私たちはいつの間にか目に見えるものだけに心奪われ、目に見えないものの存在を忘れたかのような多忙な生活を送るようになってしまった。

時には目を閉じ、鈴の音を耳にしながら、見えないものの存在に心を傾けてみよう。

という呼びかけです。納得!

 

お守りなどと一緒に並べられた土鈴の数字を見ると500円。

3つの朱印とともに鈴もいただいて1,500円を受け取っていただく。

 

ところで、足長・手長神社とは、奇妙な名称。

別名「手長彦神」といわれる手摩乳命 (てなづちのみこと)を祀る手長神社、足摩乳命を祀る足長神社ということらしい。

何しろ創建・由緒は不明なのだ。しかし諏訪大社以前からこの地で信仰されており、手長神社の場合は、高島城の鬼門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守ともされてきたそうです。

 

そして、立川流二代目 和四郎富昌という江戸時代の宮大工が、こんな彫刻をいくつか残しているそうです。

▼「てなが・あしなが」ほとんど12頭身。

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足長が手長をオンブしている何ともユーモラスな彫刻ですが、諏訪のこの神社ではなく、北杜市上田市の神社などにこの精緻な彫刻が残されているそうです。

でも彫刻は江戸時代のことだから、手長神社の創建よりずっと後のこと。

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以下、足長・八剱・手長神社の様子です。

 

▼先ずは足長神社へ。ここは無人でした。

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▼こんな階段を上がり、ガランとした境内を確認してこなくても朱印はいただけます。

f:id:wave0131:20180823194910j:plainしかし疑ぐり深く律儀なワタシは、最低でも自らの長足を踏み入れてからでないと朱印はいただきません、どの寺社でも。

▼この日2度目の階段。こちらは手強そうです。

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▼ストレートな急階段を上ると広い道路に出ました。振り返った。f:id:wave0131:20180823194913j:plain

▼道路からさらに階段が続いています。ここまでで最早アセダク。何が悲しくてこんな階段を・・・。

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▼とどめの最後の階段。

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▼本殿の細かい彫刻は金網で囲まれ保護されています。

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▼必死の思いでここまで登ってきたものの、境内は本殿の他にこの建物だけ。ちょっと殺風景。f:id:wave0131:20180823194917j:plain


階段途中の広い道路から、またその広い道路の先の足長丘公園からでも参拝できる事を知って、後のマツリ。

どちらかにすれば、見た目、くじけそうになる階段を避けることができます。

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▼次は劔神社

▼神社の前には火の見櫓が・・。f:id:wave0131:20180823194930j:plainかつてはどの町にも、村にも存在した火の見櫓。目にするとなぜかノンビリした気分になります。

 

▼この神社は、あの有名な諏訪湖の「御神渡り」神事の担当神社だそうです。

f:id:wave0131:20180823194918j:plain正式には「諏訪湖御神渡(おみわたり)拝観報告」というそうですが、最近、諏訪湖も凍結することが少なく、手長神社の宮司さんも出番が少ないかも。

湖が全面凍らなければ、氷のせり上がりの自然現象もなく、神事もないのです。

 

▼しかし、温泉は出ます。ここも温泉なのだろう熱いお湯が出ていました。

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▼こちらが拝殿かしら? この奥に・・

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▼本殿があります。

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▼献酒も地酒、伊東酒造の辛口本醸造八剣

f:id:wave0131:20180823194922j:plain名前からして辛口。甘いんじゃサマにならない。

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▼正面奥、横からの鳥居。

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手長神社の様子です。

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▼この手前にやはり急な長い階段がありますが、駐車場があったのでここから参拝。

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▼この階段、足長と比較すれば大したことはない!

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f:id:wave0131:20180823195222j:plainさぁ、一気に上がれ!

 

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▼「延命杉」樹齢500年。

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▼手長神社は、3社のうち唯一サイコーに居心地の良い神社だが、さらに湖が一望できるおまけ付き。

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腰かけて目を閉じる。蝉時雨に包まれます。

でも、あまりノンビリしていられない。いただいた「穀の土鈴」の音色と共に次に移動します。

 

大社からテナガ、アシナガ、ヤツルギと
ヤツギバヤに更新しないと、長野の旅の朱印記事だけで季節は冬になってしまいそうだ。

 

でも気長に歩むとします、か。

諏訪・法華寺の御朱印 〜 吉良義周公墓所 〜 諏訪から松本、そして南信へ❸

▼鷲峰山 法華禅寺御朱印です。

臨済宗妙心寺派・長野県諏訪市大字中洲神宮寺)f:id:wave0131:20180821203341j:plain中央の墨文字は本尊「釈迦三尊佛」でしょうねぇ?

上にある左右2つの印は読めない!「霊鷲峰」? 「◯蹟 吉良義周」かしら?

 

この御朱印をお願いした時、奥様さんらしき女性が、息子さんらしき方の名を呼んだ。

息子らしき僧侶は右手から疾風のように現れ、わたしの朱印帳をサッと受け取って奥に消えた。息子さんが住職か?

 

しばし、終始笑顔の絶えない奥様らしき女性と雑談。

わたし本宮の参拝ついでに、時たまやって来る朱印収集人。300円じゃ、やってられないわよねぇ! その都度、自分のしている事が中断される、でも無下にもできないし・・」と問いかける。

女性ははははっ、そうなのよねぇ! ここだけの話だけど・・。でも有難いことでもありますよ!」というような言葉。

 

ワンコイン500円を受け取ってもらう。

あらっあらっ、今お釣りを・・・

いつものように

とんでもない、お賽銭がわりに!

 上社本宮に参拝したら、この寺にも寄りましょう。歓待されます、きっと!

 

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法華寺諏訪大社上社本宮のすぐそばにあります。

 

▼上社本宮の二の鳥居の左手にこんな案内板があります。

f:id:wave0131:20180821202115j:plain漢字ばかりで読みたくない! それも「平体4番」のような変形文字で読みにくい!

 

「平体4番」と言っても誰もわからない。

私も知らないが「しかし、チコちゃんは知っている」。

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平体1番」は変形率10%、2番が20%・・・と言うように扁平な文字を示すのね。

 

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同じように「長体1番」「長体2番」・・・は縦に細長くした文字を示す。

1990年頃までに印刷物の文字を組むときに使われていた表現だそうよ。

アナログ時代のことだわね。

今はパソコンで無段階に1%までも変形できるから、こんな表現はなくなった。

もっとも1%まで変形すると、ほとんどの文字が線になっちゃうけど・・。

以上、チコちゃんでした。

 

そんなことはどうでも良い、肝心の案内板は

「きらこうずけのすけ よしなか こう ようちゃくし(まご)」

「きら さひょう よしちかこう」ここに眠る。吉良町(きらちょう)

と読むらしい? 定かでないです!

 

この地の住所は諏訪市大字中洲神宮寺なのに、

看板の最後に「吉良町」と言うのは何なのでしょう?

吉良町」が建てた看板?

 

吉良町」がどこにあるか、日本人のほとんどが知りません。

吉良町がどこにあるかも知らないで、毎年12月になると「やれ忠臣蔵だ、やれ討ち入りだ」と話す日本人の何と多いことか!

しかし、チコちゃんでなくとも私は知っています。

 

▼ここにあります。吉良町は吉良家の領地だったのです。

f:id:wave0131:20180822131718j:plain愛知県の三河湾沿いの町で、現在は西尾市編入されています。

実は西尾市は私の出身地。知っていて当然!?

 

▼何はともあれ、上野介の孫が眠っているなら、悪いけど眠ってる場合じゃないですよ、起こしちゃいます。吉良からではないですが、八丁堀からやって来ました!

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▼三門前にも吉良町からの案内板が・・。

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▼仁王門、もしくは禅寺だから山門ではなく「三門」。

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本堂。賑わう上社本宮のすぐ隣ですが、こちらの境内は静かなもんです。

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▼扁額は釈迦三尊

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▼「弁財天」に「大黒天」は諏訪湖湖畔七福神? この七福神は機能してない様子。

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▼境内裏にある目当ての墓所に登ります。大好きな階段にこの日初遭遇。

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▼トントンとかけ上げれば、すぐ墓に行き着きます。

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義周が説明されている吉良町からの銘板。

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吉良義周は赤穂浪士による吉良邸討ち入りに遭遇。手傷を負い、領地召し上げ、高島藩預けとなります。高島城南之丸へ幽閉されたそうです。

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▼そして、その3年後の宝永3年にこの地で病死し、ここに埋葬されました。f:id:wave0131:20180821202111j:plain

300年以上眠っている。病没までの事情からか立派な墓石ではありません。

 

▼こちらは諏訪市教育委員会の銘板。吉良町側の案内と微妙に違います。

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いつぞやも吉良町の学校の教師さんが、いろいろ調べにやって来られましたよ」と庫裏の女性の言葉。

吉良町諏訪市は、こんなところでも繋がっています。

義周に合掌。

諏訪大社上社本宮の御朱印 〜 諏訪から松本、そして南信へ❷

諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市中洲宮山)の御朱印です。500円。

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前回掲載の上社前宮の参拝者数が少なく、空いていた理由が分かりました。

前宮までの公共交通機関がないようです。

車利用の人は別にして、バスもなく、最寄りの茅野駅から20〜30分歩くか、タクシーを利用するしかないようです。

 

前宮だけ、どうして?

 

▼上社本宮までは「かりんちゃんバス」という諏訪市運営のコミュニティバスが走っています。

f:id:wave0131:20180820195444j:plainあと2km営業距離を延ばせば前宮、だが走っていません。

普通なら考えにくい。

上社本宮を訪れる観光客の多くは上社前宮も参拝してみたい、と思うはず。

行政的には、ほかの三社は「諏訪市」に鎮座だけど、前宮だけは「茅野市」に鎮座する、ここらあたりが問題なのかな?

 

▼「四社まいり」という印刷物を出しているのに、足が整っていないのでは両手落ち?

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四つの諏訪大社は私たちにとってはひとつの諏訪大社

でも神社側も行政側も、ひとつになっていないように感じます。

 

▼しかし「前宮・本宮散策マップ」なんてものも制作しているから、時間のある人は本宮から往復すること! を「おすすめ」しているのかしら? 片道約2km!

f:id:wave0131:20180820200121j:plain誰もが知っていて、機会あれば参拝したい信濃国一宮・諏訪大社

有名で経済的に潤沢な神社は、自身を一つ、二つ見落としてしまう可能性はある!

 

前回記事に重ねて、もう一度言います。

公共交通機関はないけど、諏訪大社は上社前宮にも行きましょう!

電車もバスも寄り付かない、観光神社でない「神社」があるわよ!

 

 

 

▼と言うことで前宮とは大違いで、公共交通機関のある「上社本宮」は、そこそこの参拝者が見受けられます。

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▼こちらは北参道の「一の鳥居」。
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▼振り返ります。
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▼手水社の近くにもうひとつ。

火傷しそうなくらいホントに熱い! 諏訪温泉の源泉とか。

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▼一の鳥居をくぐって、左手にかなり進んで回り込むと「二の鳥居」に。

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▼本宮にも「御柱」が同じように建ちます。

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▼しかし、三、四之御柱は本殿裏の神体山の中腹に建てられていて近寄れません。

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▼だから「遥拝所」が設けられています。

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▼参拝路はここ「入口御門」から始めるのが正しいとか。
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f:id:wave0131:20180820175312j:plain先に続く橋のように見えるのが「布橋」。f:id:wave0131:20180821173939j:plain神が歩む道に布を敷いたからこの名称。神々のレッドカーペットね。

 

上社本宮は広く、謂れのある見どころだらけ!

さすが本宮、四つの大社のなかで建造物も一番多い。

寺の場合は「伽藍」と言いますが、神社内の建物の総称はワカランです!

いずれにしても30分くらいの探索では多くの理解は得られません。

 

で、写真だけ並べます。

写真は参拝順路とは順不同になってしまってます。

いつものように各説明は信ぴょう性のある他のBLOGを訪ねてくださいね。

 

とにかく前宮に続いて2番目に魅力的な、個人的に「許す」神社ですよ。

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▼拝殿。足を踏み入れられるのはここまで。

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▼訪問者の入れない拝殿の奥は幣殿。御神体は山だそうだから本殿はありません。

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▼賽銭を集めているわけではなさそう。広い境内に多くの建物だから掃除も大変です。

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誰もジックリ見ない下手な写真を並べているだけで疲れるから今回はここまで。

長野の記事は先が長く、グズグズしていられないのです。

 

諏訪大社上社前宮の御朱印 〜 諏訪から松本、そして南信へ❶

▼最初に諏訪大社4社共通の朱印帳を購入。200円、いや2,000円でした。少し高くない?f:id:wave0131:20180820184902j:plain

諏訪大社上社前宮(長野県茅野市宮川)の御朱印です。f:id:wave0131:20180820184919j:plain

4社はそれぞれ1社500円。

 

最初の4ページ右下に4つの大社名が小さく印刷されている朱印帳を購入して、4社すべての御朱印をいただくと、ちょっと美味しいステーキがいただけそうな金額、4,000円です。

病的な私たちはステーキより神々のサインを選択するようです。

 

さて本題です。

前回記事は10日にUPしているから1週間のブランクだったことになります。

 

▼しかしアクセス数は300前後だったのが、12日以降は500前後になっています。

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今日も、今 確認したら463に伸びています。

アクセス数の動向は、まったく予測がつきません。

直前の記事内容から、御朱印より200円の日帰り露天風呂の記事がお気に召したのかしら?

そんな記事は滅多に書かない。と言うより温泉好きでもないからそんな記事ネタはないのです。

前回はタマタマでした。

 

まぁ「はてブ」のアクセス数はあまりアテにできないかもしれない。

話半分、目安程度、と理解しておくことにしましょう。

 

さて、8月11日から13日までケチケチ・ダンガン・ゴシュインメグリ・ヒトリタビしてきました。

 

▼今回の走行距離は約800km。3日間の計だから大した距離ではないでしょう。

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今回は木曽も目指すから「夜明け前」の4時頃に首都高の葛西インターへ。

八王子ICまでは高速、あとはひたすら下道の20号を走ります。

高速の渋滞情報は出ているものの、下道は快適な流れで、渋滞は一切ない。

道の駅に寄り寄り、4時間30分走る。

 

▼そして、8時半頃にここに着きました。

 

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いつものように詳細な事前知識は大して持たないで訪問。

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全国に25,000社あると言われる諏訪神社の総本社。

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▼結果的にこのあと訪問した4社の諏訪大社のうち、この前宮が一番印象的でステキな佇まいでした。

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▼階段を登れば境内でしょう?! と思った。f:id:wave0131:20180817200133j:plain

十間廊。今でも御頭祭(酉の祭)がここで執り行われ、大事な神事は前宮で行われるとか。f:id:wave0131:20180817200125j:plain戦国時代までは鹿の頭75頭など山海の幸がここに積まれ神事が行われたそうです。

 

内御玉殿。ここから現人神がお出ましになったそうです。

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▼階段の上は確かに境内だったが、まだ先がありました。この坂を200mくらい進む。

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▼マンホール蓋に興味はないけど、微妙に面白いから・・・。

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▼そして、やっと本殿にたどり着きます。

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1927年の伊勢神宮式年遷宮の際の古材を用いて建てられたそうです。

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▼本殿を囲むように四隅に、祭りで有名なこの「御柱」。

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▼何のためか? いつからか? 確かなことは一つもないようですわ。

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▼四つの諏訪大社はすべて同じように「御柱」に囲まれています。

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でもここ前宮だけは4柱とも目の前で見られます。

 

▼のけぞる「一之柱」は五丈五尺(約16.6m)。

f:id:wave0131:20180817200126j:plain二、三、四之柱はそれぞれ五尺(約1.5m)短いそうです。

本殿を正面にして時計回りに右手前に一之柱、左手前に二之柱、左後方に三之柱、右後方に四之柱と続く。4つの大社の御柱はすべて同じ配置。

 

▼「二之柱」の脇を、名水「水眼(すいが)」が流れます。

冷たい! 気持ち良いからパシャパシャと顔にかけました。

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諏訪大社4社のうち、唯一この前宮は寂寥感とともに神々の存在を身近に感じさせてくれます。

この辺り一帯は「神原(ごうはら)」と呼ばれているように、のどかというか古き良き趣を残しています。 

f:id:wave0131:20180817210753j:plainもっとも素朴で、もっとも参拝者の空いていた、もっとも魅力的な神社でした。

4社のうち、もっとも観光化の小さい神社と言えるかも・・。

 

もう一度訪れる諏訪大社としたら、唯一絶対に「上社前宮」です!

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