一人だけ御朱印を待つ人は、書き手の手際が良いのか、あっという間に御朱印を渡されてました。
いただいた!
あっという間の早さもうなづけます。
正確にはスタンプというか、印? 判? 版木?
何れにしてもこの面積だとキレイに墨が着くには無理がありハゲが生じる。
「奉拝」と「日付」が墨書きなので、かろうじて救われているものの、
「十社之内」にしては寂しく情けなく残念。 墨書きの書置の方がまだマシかも!
昨今の大量の御朱印希望者を手際よく「捌く」には致し方ない?
でも今日は御朱印希望者はチラホラで空いているのに。
いかに大量の御朱印希望者が押し寄せようとも、明治神宮、靖国神社などではこの方法は採用しないような気がする。
その根拠はないが、神社のプライドの問題か?
それぞれの神社には各々事情があるよね、と理解する。
6年前にいただいた時は、神社名は当然直書き。
「元准勅祭神社十社」の威厳とホコリが保たれているね。
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4月8日、久しぶりに根津神社を訪れました。
▼北参道の鳥居をくぐる。のっけからボケ写真、ヘタクソ!
さまざまな時代小説や明治の文豪たちの小説に登場する場合のこの神社の名称は「根津権現」。
地元の人々も親しみを込めて「権現さま」と呼んでいるようです。
「権現」? って分かっているようで、分かってない。
『仏さまの権(仮)の姿として現れる神、まだ仏と神が仲良く同居していた頃の神の呼び名』
というくらいに理解して、ヨシとするか! 大きな間違いではないはず。
飯綱権現、秋葉権現、愛宕権現とか、権現さまもいろいろで、さらに理解しがたいわねっ。
北参道から右手に進むと「駒込稲荷」「乙女稲荷」の2つの末社。名称からして女子に人気がありそう。女子力UP!? 女子力って何っ? 男子力はないの?
▼力の有無を差別せず、男女を迎えてくれる狛狐は風雨にさらされて劣化したのか、これだけを見せられたら正体不明な生き物になっています。
下の堂内に隠れているような3匹は明らかに狐で、胡散臭そうに同方向を向いているのがケナゲ!
狸ほどではないが、狐も憎めない奴。
「乙女稲荷」の本殿は舞台造りが堀側に広がっています。
本殿正面をを撮ろうとして後ろ向きに下がると堀に落ちます。
きっと一人や二人落ちているはずだと思うけど、そんなマヌケはいないかしら?
それにしても末社が以前からこんな立派な社殿だったかしら?
ツツジを見に来ただけで、まだ神社に大きな興味がなかった8年前は気づかなかった造り。
▼伏見稲荷には比ぶべくもないけど、朱と緑のコントラストはツツジが咲いてなくとも華やかで幻想的。
3000株あると言われているツツジも今週末には満開になるでしょうが、8日の日曜はこんな様子でまだ5部咲き以下だった。まだまだアオイ!
ここが一番花開いていました。
200円の「つつじ苑」に入らず、垣根の外から背伸びして覗きます。セコイ!
ツツジの斜面が終わるあたりで左回りにUターン。
楼門にはじまり本殿まで重要文化財が続く。
唐門の手前から参拝者の列ができています。
参拝者の多い神社はいつでも、どこでもこんな風に行儀良くほぼ2列。
いつものように列を無視する。
しかし皆さんの邪魔にならないよう謙虚に
そ〜〜〜〜〜〜っと 拝殿の脇へ
そ〜〜〜〜〜〜っと 横から賽銭を落とす
そ〜〜〜〜〜〜っと 右斜め後ろに10歩下がる
そ〜〜〜〜〜〜っと 手を打ち、合わせる
何か問題でも?
ヒンシュックをかう? 怒りをかう? 反感をかう?
心配無用!
この流儀、もはや神々の「承認」を得ている!! つもり。
一度も遭遇してないが、面と向かって注意されたら流儀は説明せず、素直に即 謝罪しますわっ。
国宝と重要文化財は別物と思っていた。何もわかってない!
国宝を含む重要文化財があるようだ。国宝でもあり、重要文化財でもあるわけね。
劇的に変化してきた300年もの間、ほぼ無傷で保たれてきたのだからスゴイ!
もっとも創祀は1900年も前の事だそうだから神代です。気の遠くなるムカシ。
やはり寺社はスゴイ歴史を抱えている!
▼以下は2012年2月の土曜日。
たびたび書きますが、この頃は参拝者が拝殿前に列を作ることありませんでした。
パワスポ、神社ブームによる女性、若者の参拝者が爆発的に増えたという単純な数の違いだけではないように思います。
その頃から参拝の作法、暗黙のルールが変化してきました。
作法無視は論外です。
しかし、いくらかバカ丁寧になってきたように感じるけど、大きなお願い事をする人はそうせざるをえないかもしれない?
列を無視して脇で手を打つ者は、やはり無作法かしら?
▼時をさらに2年遡って、2010年のGW。どれだけ古い!
ツツジもちょうど満開でした。
▼ツツジも満開、人出も満開。
▼時を2018年まで戻して、表参道の鳥居をくぐって境内を後にします。
鳥居を抜け、不忍通り方面に歩みを進めます。
▼すぐに右側にレトロな佇まいの染物屋が目に入ります。
▼その建物の側面にこのプレートがあります。
「根津遊郭の跡地」
そう、根津は「不寝」で「遊郭」だったのです。
現在、多くの方の参拝ルートとなっている不忍通りから表参道鳥居に向かうあたりは根津権現の門前町で、その左側一帯が遊郭でした。
明治15年には妓楼90軒、700人近い娼妓、遊女たちが花開いていました。
▼「文京ふるさと歴史館」からお借りした写真のこの絵は明治時代のもの。
「満開の女たち」としか言いようのないニギワイ。
ことの起こりは、現在重要文化財とされている社殿等が新造された300年前に始まる。
造築にあたった職人たちを相手に非公認の「岡場所」にはじまり、変遷を経て遊郭となり1888年、明治まで続いた。
さすが130年の時間はその痕跡をすべて消し去っていてアトカタもありません。
神社のツツジは当時から植栽されていたかどうか分かりませんが、江戸時代から明治まで、男たちはツツジより満開の女たちを求めてここにやって来ました。
距離も近いことから東大生もやってきます。
勉学一筋で東大に入った若者たち。女たちの魅力の虜にさせられ「不寝」に夢中になったのも想像に難くありません。
東大生だった小説家 坪内逍遥は娼妓の一人を妻に迎えたようですが、このケースは稀。夢中になった多くは厄介な問題を起こし、勉学の妨げ、風紀の乱れを解消せんと根津遊郭は移転させられました。
移転先は現在の江東区東陽1丁目、当時の「洲崎」。
このブログで以前記事にした「洲崎神社」はその名を残しています。
そして小説にも映画にもなった男たちの欲望を満たす「洲崎パラダイス」は1958年まで続いました。
男どもはある部分子供。子供が喜ぶ遊園地の入り口のようなアーチが結界。
▼芝木好子原作の『洲崎パラダイス』が映画化されたこのスチール写真の後ろ姿の女性は、今は亡き新珠三千代という大女優だったそうです。
その広大な「パラダイス」が戦火からも立ち上がったものの、新たに制定された法律により「遊郭」は解体され消滅させられ、早半世紀以上。
▼数年前までは、この写真の緑の奥に当時を彷彿させるその姿、建物が明瞭に残されていました。
上の4枚の写真の建物、現在はすべてなくなっているでしょう。
2020年にオリンピックを控え、開発により次々に東京のムカシが消えていき、それが加速されています。
▼ここ洲崎は、地べたより水面の方が高い位置にあります。
この水面はさらに高くなるかもしれない。
さまざまな「位置」は上になったり、下になったりで無常。
▼光と闇を抱えて消えたしまった「洲崎」は、陽が落ちるとチョッピリムカシが蘇ります。
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この記事を ほぼ8割ほど叩き終わったところで mac がハングアップ!
凍った!
悔しいったらアリャしない。途中で「下書きを更新する」にしてない。
普段 Firefox、Illustrator、Photoshop、Acrobat、Excel、メール、写真と、6つ、7つくらいは常時立ち上がっている。
さらにWord、連絡先、itunesを起動させることもあるから、かなり無理させている。
▼不機嫌な時は、虹マークのレインボーカーソルがグルグル回ってダンマリを決め込まれる。しばし待つ。いろいろやって、アプリケーションの強制終了も効かない。
グルグルが止まらず、ニッチモサッチモの時はこちらの負け。
ヤケ酒でも飲みたくなるが、涙を飲んで強制再起動! すべてが失われる。
キーボードを両拳でガーンッ!とやりたいがグッとガマン!
あとが大変になることを過去に勉強している。
アホらしくて、やってられないが初めから叩き直し。
やれやれ!