今度の日曜、6月18日は、吉見観音の安楽寺本尊が御開帳されます。
「厄除け朝観音」とも言われ、
朝早くからお参りするほど御利益があると信じられているので、
この日は夜明け前から多くの参拝者が訪れるそうです。
その賑わいの中、名物の厄除けだんごが売られ、
このだんごを食べると1年間の厄落としができるとか。
▼坂東11番・安楽寺(吉見観音)の御朱印。(真言宗智山派・埼玉県比企郡吉身町)
参拝したのは縁日には1ヶ月ほど早かった時期でした。
寺社巡りで楽しみのひとつは参道を歩む事ねっ。
駐車場からの参道は、左手に厄除け団子を売る店が1軒あるのみ。
少しガッカリ! でも、その参道が行き着くところの階段を上がると、新緑の中を三重塔が迎えてくれて、参道のガッカリ度は下がり、本堂とともに、その美しさにスッカリ魅了されました。
縁日でもないから、ガラスキ! この空間をほぼ独り占めできた。
しかし、当時の写真がない、見つからない。
パソコンを引っ掻き回しても、カメラをイジくり回しても安楽寺の写真は出てこない。ショーガナイ、三重塔はWEBから拝借しました。
どこへ行っちゃったのかしら? 写真。いつものように脱線。
写真の世界がデジカメとスマホに凌駕されて久しいんだけど、人々はバシバシ撮った写真をどのように整理してるのかしら?
整理は何事も人よりできる方だったのに最近の写真だけはオテアゲ。
ゴミを片付けられない人種と同じ状態にある。
Canonに、Olympusに、iphoneに、SD cardに、外付けHDに、imac。
百も覗いているのに出てこない。たしか、どこかにあるはずだが?
無理だ!探しきれない。
整理しきれてない。そんなに暇でもない。
後先考えずシャッターを押す。
お金はかからないからジャンジャン押す。ジャンジャン撮れる。
ジャンジャン手に入るものは有難くない。扱いがゾンザイになる。
ジャンジャン押したツケだ!でも、ジャンジャン捨てられない。画像に溺死だ。
その昔は、カメラを持っている人は希少な存在だった。
そんな希少なカメラに収まったものが紙焼きされた「写真」は宝物だった。
ところが、経済成長とともにカメラを手にできる人の数も増え、一家に一台、一人に一台と、TVと同じようになり、今やTVを追い越し、カメラは一人に複数持てる状態だ。
老若男女、皆持っている、シャッターチャンスを逃さないケータイ、スマホ。
さらにバッグにカメラが入っているからカンペキだ。
シャッターは人が乗った電車にも公平なチャンスを与えて、こちらに焦点を合わせているカメラ。痴漢氏は受難のときを迎え、冤罪氏は救いの時を迎えようとしている。
世界中でカメラレンズを向ければ、正体不明な相手も、こちらに焦点を合わせ続けている。
脱線の脱線から軌道修正するわねっ!
写真は、写真機を持つ人の価値観と、コダック、フジ、さくらのフィルムを買って、現像・紙焼きにも代償を払い、数日後にしか目にできない時間差があったからこそ、その大きな感動を得ることができたのだ、ということを言いたかっただけなの! だれも耳貸さなくてもヨロシ-!
ずーっと戻って本題! 観音さまの近くにある吉見「ひゃくあな」「ひゃっけつ」の話。どちらの呼称も正解よっ! どちらも文字にしたらちょっとエゲツない! と思うのは、気持ちがエゲツないわしだけかもしれん!どんな気持ちで向き合うかで、この「吉見百穴」は「知」と「痴」に別れますわ!
吉見観音さまと吉見百穴の詳細は、無責任にいつものように他の詳しい方々にお任せして、整理のつかなかった写真の中から百穴の写真のみ見つかったからズラズラ並べてみます。
入場料300円を払って中へ。正面に構えている最初の入り口。
なのの様子。軍需工場にしようとの計画だったから通路はトラックも通れそうな広さだ。
安全面からフェンスの先は進めない。全体は広いが公開されている区域はごく一部。
棺を納めた横穴。
内部の棺を納めるところ。棺座というらしい。この穴には左右に2つ並んでいた。
古墳時代の墓穴と、墓穴を掘った戦争のの軍事工場計画跡を見てきて、少し暗い気持ちにもなる足を、もう少しだけガンバッて階段を上がると、街並みが一望できる場所に出る。
眼下を臨み、思えた、百穴に葬られ、そこに眠る数々の古墳時代の魂たちは、もしかしたら、そののちの観音様にも見守られ、さらに現代に引き継がれて、わしが目にしてるソーカイな景色を観音さまと共有しているかもしれない、今も。
近くに吉見観音とは別に「岩室観音」があることは後で知った。
できれば「岩室観音」とともに、1週間後、再度、吉見観音の縁日におたずねしてみたいわね。